2002年 8月26日
HRCの飛行機達

館内の飛行機達

零戦や九三中練だけではありません それらは 今も レストア対象
 
彼らにもスポットを当てて見ました。

レプリカでしょうか?ライトフライヤー1号機

オービル・ライト?が乗っています
キティーホークの丘から 初の動力飛行 2003年で100年ですね。
下から見ていると 羽布の貼り方など 興味もってしまいます。
えっ?オービルが笑った?


パイパPA−20ペーサー

レジスターは分かりませんが
物の本では 日本に輸入されたのは4機だそうです。


萩原H-23(JA2018)

ベストセラーになるかどうか 判りませんが 鋼管羽布張りの胴体
木製の主翼 某グライダー研究会もH-23Cを飛ばしてました。
今では 大利根でしか 見られないのでは?
この機体の側面には
「報知号」「15542FLIGHT」「28YEARS」
と書かれていました。
・・・年間平均555回以上 飛んでいたことになります。


パイパーL-21(JG−2045)

これまた 美しく仕上がってますね!
兄弟機PA-18スーパーカブは 現在もグライダー曳航等で飛んでいますね。
昭和28年ごろ 警察予備隊へ 米軍から62機の供与を受け
保安隊から 陸上自衛隊へ と使われ 一部は民間にも?
それが ある航空雑誌の片隅に 民間で復元されて
エンジンテストしている 写真が載ってました・・・・・・

現在では 民間に払い下げ
・・・って訳には行かないのでしょうか・・・
もっとも 現在の自衛隊機は一部の機体を除いて、
民間での運用は難しいかもしれませんね・・・。


ロビンソン R-22 (JA7707)



下からで 申し訳ないですが
2人乗りで比較的安価で 安定性が良い
川田工業が介入しましたが おりしもバブルの風を受け
日本での ヘリコプター人口を 一気に増やした張本人
不思議な形の操縦桿 水平対向4気筒のレシプロエンジン

インターネット上のニュースでは 2004年上期 北アメリカでの
民間ヘリ生産販売実績で 再びレシプロエンジンが タービンヘリを
抜いてしまったそうです しかも その大半が ロビンソン社の R22とR44


エアロンカ7AC スーパーチーフ (JA3156)
 
これも 珍しいのではないでしょうか、ユニークなカラーリングしていますが
当時、パイパーと人気を二分する程の人気の飛行機だったそうです。
「エアロンカJA3156観光」・・・?


三田式グライダー

JA番号はわかりませんでしたが これまた綺麗な状態の三田三
ある事がキッカケで 次々とリタイヤしてしまった・・・
当時の方々の話では「乗り手を選ぶ」とまで言われた
つまり これで飛べる事自体が ステータスだった・・。
鋼管羽布張り 木製の翼
この機体は、屋内に保管しなければ 絶対にダメです。





鳥人間コンテストで 優勝経験をもつ Team Aeroscepsyの機体
垂直尾翼が水平尾翼の前に付いてます。
Team Aeroscepsy は この同形機で第10回大会に優勝していますね。


1993年12月に内藤晃氏の人力回転翼 「ゆり」が記録を作る前、
この人力ヘリコプターが 在りました。・・・名前がわかりません(涙)
大きな建物の中 地表近くで回転する大きな径の2重反転ローター
パイロットは一番高い処で ひたすら筋トレで鍛えた足を使い
ペダルを漕ぐ・・・何度も失敗を繰り返すが、やがて浮揚に繋がる



ピッツS2B (JA4130)
 
 この機体 龍ヶ崎で上野さんが飛ばしてませんでした?
RED BARONエアーショーで バリバリのアクロバットしてましてよね!


ケイデット PT-17
 
この飛行機は 桶川でスカイフェスタの時に 離陸せんばかりのタキシングを見せてくれました。
横田基地でレストアされて 飛んだとか噂を聞きましたが・・・是非 再び完全な形で見てみたいです。
2004公開時には 上主翼が 展示されてました 木製骨組み左翼は 後縁が破損していました。
ふと 思い出したら 上主翼には エルロンがありません。・・・93中練には あります。



一式陸攻22型?

の後部胴体
本物・・・こんなにも綺麗に・・・何箇所か弾痕の様な穴が空いてました・・。
係りの方の話では 将来 完全な形にしたい・・・これもまた スケールの大きな話です。






HRC

零戦21型  零戦52型  零戦骨組み  零戦残骸  93中練

屋外の展示機  その他  カーパレスのF-1

Engines



旅の空のした