2001年8月(2003/1/5一部訂正)
HRCの飛行機達

Engin

FLTは予定してないけど エンジンは回します・・・
中島 栄12型
 
このエンジンは OH(オーバーホール修理)されて
 日本国内で 唯一実働できるエンジンなのです。
オーナーの並々ならぬ コダワリが伝わってきます。
下においてある OIL・PANには 新鮮な?オイルが・・・・

知らなかったのですが これらの古いエンジンを 「OHする」と言う事

単に形にすれば良いのではなく シリンダーは新品を丸ごと作る様なもの
航空機のエンジンは ご存知の様に その性能を最良のコンデションで
維持しなければならないのです。 何故なら そのまま 人命に関るからです。
飛行機は そのパワーが出るから飛ぶのです・・・

追記
栄12の陸軍版 ハ二五は ニュージーランド・ワカナで復元された隼に載り
現在 米シアトルの北約80kmにあります『Flying Heritage Collection』
に保管展示されているそうです。
ねこまた重工様HP 『国内外の博物館』のコナーに写真入で紹介されてます
是非御覧下さい。


これは 上と同じ 中島 栄12型

ディスプレー用に復元したエンジンの様です。カウルフラップも付いていますね。
まだ プラグへの電線は付いていませんが カウリング用ステー金具が付いています。
機銃を避けて凹んでいますね!


これは 裸の 中島 栄12型
 
艤装品や電装品等が付いていないと この様な形をしているのですね。
14気筒・・・何も付いてないと とてもシンプルに見えます・・・

零戦52型機首21型のカウリング



中島 寿

かろうじて原型を保っていますが 中島飛行機のエンジン出世作
海外のエンジンを自分のモノにする まさに その様なエンジン
ジュピターエンジンを 中島風に消化発展させたエンジン

そして 中島 誉 と ハ45



ギリギリの外形スペックに押し込まれた高性能エンジン
最後の量産エンジン 当時の工業力では 生産し切れなかったのか・・・

当時 工業生産能力 = 品質度外視の出来高重視 では なかったと思いますが
人さえ投入すれば気合いで何とか成ると 云う風潮は昭和19年以降あったのかも?
・・・これは 生産能力とは 言わない!

一定の品質を確保できて それが安定して供給できなければなりません。

学徒動員であろうと それが出来れば良いのです。

当時アメリカでも それまで事務系の様な(失礼) ご婦人達が 飛行機を作っています。
アメリカとて資材を除けば飛行機を作る事 自体は 大きな差が無かったかもしれません。

では 何処が・・・?

問題は その時の環境下で 如何に 高い安定した品質を供給できるか では?
設計も共に考える生産技術の差が 大きな違いだったのではないかと思います。
勿論 そこには 底辺の 基礎的工業力が定着していてのお話。


戦後「品質を意識」を 思いっきり叩き込まれたのは 工業製品輸出国として、
欧米の品質に対する考え方 と 日本があまりにもかけ離れていた事を痛感してから

大先輩達は 「安かろう 悪かろう の 日本製」を 如何に 打破できるか悩んだ・・・
航空界も 例外ではく 世界の優れた技術をライセンス生産することで学んだそうです。

そして 現在の「ISO9100」とかを 当り前に叫ぶ 現在の日本がある様に思います。


これも 裸の 三菱 金星

96陸攻用として展示されてました。
給排気用バルブのプシュ・ロッドが2列とも前方より伸びてます。 14気筒。
モノの本には 爆撃機用とか書いてありますが タフなエンジンだったのでしょう。
三菱発動機の代表作ですよね 金星→瑞星→火星
詳しくは この本を 読んでみては?
著者:松岡久光 みつびし航空エンジン物語


水冷倒立V型12気筒 愛知 熱田

逆様の熱田 と 機体の部品まで付いた正常位置の熱田エンジン
当時 水冷エンジンは 整備性が難しかった のでしょうか? 
日本には意外な程根付かなかった様ですね。


欧米では むしろ P-36の様に星型空冷からV型水冷にしてP-40
と 云った変化が見られます 周辺工業力の差なのか・・・・・・・・・・
ラジエーターのコア製造技術よりも もっと大切な基礎技術 例えば
ゴムホース パッキン 配管の繋ぎ金具 電線 などなど・・・・・・・・・

もっとも 耐久性が無ければ 数を作り 定期交換品として 大量の
ストックを持たなければならない つまり 材料 製造 輸送 管理・
が しっかり出来なければならない・・・

前線で「稼働率の低い」と称された 優秀機は殆どが 上記の問題だった
と 思います 何故なら 国内の部隊では 飛燕も疾風も 高い稼働率
で 任務に着いていた部隊も 本などで紹介されてます。



1式陸攻のエンジンとプロペラ




これはめったにお目にかかれない
中島エンジンの分解展示


Pratt & Whitney Wasp Jr.

 ビーチクラフト18のエンジンとして 展示されています。

Web上で調べてみますと
450 h.p. のこのエンジンもいろいろな機体に使われ その都度進化し続けた様です。
1926年に300hpのエンジンとして生まれ 使い勝手の良さ(整備性や稼働率)
プラット&ホイットニー社を成功に導く 原動力になったと言われてます。
ケイデット や カナダのブッシュプレーン DH−3ビーバー等にも使われています。



Wright Cyclone R1820

B-17のエンジンとして 展示されていました
このエンジンは使い勝手がいいのか V-44にも同系列のエンジンが載っていますが、
調べてみると 初期の 575hpから進化し続けGタイプに至っては1525hpまで・・・・
Shadowさんが好きなS2F−1にも T−28にも搭載され なんとDC−3にも・・・



Wright Cyclone  R3350

こちらは B−29の写真と一緒に 展示されています。
(多分P2V−7のターボ・コンパウンド?R3350−32?)
どちらかと 言うと デリケートなエンジンだった様です。

B−29はターボチャージャーの開発に苦労したけどモノに・・

そのパワフルさを買われて P2V−7やスカイレーダーにも採用されています
民間機でも ロッキード コンステレーション や DC−7等に採用されてます・・・が
軍用エンジン、民間では使い勝手が異なった様です。






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