2003年1月12日
2004年10月改定
福島は 浜通りにある某自動車展示館にて
 

成人式の前の日・・・
と言っても たまたま晴れ着姿を見かけたのです(^^);;

福島県 浜通り地方の 某自動車展示館に行って来ました。

常磐自動車道路の終点を下りて国道6号線北へ信号2つ目
サッカーで有名な Jビレッジの交差点を左


・・・ありました


ここには オーナーのコレクションと預かり保管車両を所狭しと 展示しています。
車好きには きっと たまらない コレクションがいっぱいある様で・・・     
車無知の私でさえ 興奮してしまいます。


 (2004年現在はHPを閉じています)
 
 
実は ここ 航空ファンなどで 紹介がありました様に 航空機が展示されてます。

いずれも 自衛隊を退役した航空機ですが
何よりも素晴らしい事は 殆どの機体が 1度スクラップ処分の遺しき目に逢っていながら
にも かかわらず 現在の持ち主が こつこつと現役当時の形に 復元しつつある事です。
かと 言って 飛べることは出来ませんが 往時を偲ぶのには充分の 形に成ってます。
 
この日は 風が強く 上空を飛ぶ単発機は 山からのウエーブに かなり煽られてました。
 
入館料 900円 を払って 建物内に入ると 歴代の車が 眼に飛び込んできます。

トライアンノフ メルセデス キャデラック・・・・さっぱり分りませんが凄いです!

しかし、その中に

元陸自のKH−4(JG−30216)とTH−55(JG−61307)・・
 
あっ!TH-55は SU・・・宇都宮のマークが入っています


そして レモンこと海上自衛隊のOH−6J(211−8761)
(佐伯さんより海自が最初に導入したOH-6とか)
 
こうして 実機を見ていると あそこは あんな風になっているんだぁ・・・なーんて
 興味が尽きません。


例えば

 KH−4の クルードア エマージェンシーや整備などで ドアを外すのは 機内から
ドア前方のハンドルを 引くだけ すると 前方2箇所のヒンヂピンがポンと抜けて
ドアが外れる仕組みです。

ブレードを下から見上げれば メインローターは 日飛で整備してたのかぁ・・・とか 
 
歴代の車達を見ながら 外に出ますと そこには 固定翼達が 並んでました。
 


 手前から見ていきましょう

 ロキードT−33A(71−5305)

この機体は 完全な形になっていました 機体番号や国籍マークは消されていましたが
部隊マークが少し残っていました。・・・但し ここに来る前展示されていたマークなのかは不明

胴体下の???パックに 306SQの文字

   何をするものか 知りませんが 各種任務で 使われたのでしょう。
T−1と違って 油圧装置を多用している機体でもあります。
 世界30ヶ国以上で 練習機として5600機以上が働いていました。
本などで 体験談を見ると 乗り手を選ぶ飛行機だったとか・・・



次は ノースアメリカン F−86F(12−7996)

この機体は 以前何処かに展示されていたものと思われます。
1度はスクラップ処分されあちこち 切断された部分が残ってます。
スクラップ処分された機体は 主翼桁を 溶断されているモノが多く この部分は
簡単には再生できません この機体も胴体下 主翼下にそれぞれ櫓を組んで維持されてます。
       
この機体の尾翼には小牧のシャチホコのマーク跡が見られます。
オーナーの こつこつと復元している跡が あちこちに伺うことが出来ます。


次は 同じノースアメリカン社の傑作機 T-6G (72-0131)
     
この機体も以前何処かで展示されていた 機体です。
スピンナーキャップや脚カバーが 目を引きます。
ハフ張りの動翼が ブリキ板(SPCC)で張替えられてました。
しかし プロペラや風防などが完全状態  尾翼部分さえ何とかなれば・・・と
この機体も 世界40ヶ国以上 なんと17000機以上生産され 活躍しました。
宇都宮でも 飛んでいたのですね・・・覚えてませんがぁ・・・


道を挟んで 反対側
南から セスナ/富士L−19E (JG−1214)
     
この機体風防は 劣化してバリバリでしたが 比較的 程度が良い状態に見えます。
この日の様な強い風が吹くと 時折ホバーリングでは無いですが 止まって見えました。
でも 水平対向6気筒エンジンは213hpを持っていました。固定ピッチぺラ・・バネ板式主脚
何処にでも降りられそうな 飛行機・・・何故か好きなんです。


次の機体は ビーチクラフト B65(03−3093)
     
この機体、海上自衛隊に配備になった機体ですが 航空自衛隊に戻された機体の内の1機です。
     
エンジンカウリングや 胴体に ビッシリ書き込まれた マークや文字から    
入間の総飛行隊で最初に用廃になった機体と 思われます。

1969年から1998年まで 航空自衛隊で働いていた様ですね。       
あちこちにかかれた文字には海自の202教のサインも見られます。      

浜松広報館にシーザマークの航空自衛隊所属機が展示されています。

海上自衛隊が宇都宮に居た昭和47年頃まで この飛行機が飛んでいました。
毎朝 滑走路エンドで 6機位が エンジン・ランナップしていました。      
そうそう、初めて載せてもらった飛行機も この垂直尾翼後退角付きのB65・・
・・・もしかして この機体だったりして・・・


そして最後に 富士KM−2(6243)

この飛行機は すべて海上自衛隊小月基地に配備されました。    
飛行機の基礎を学ぶ為 航空学生が最初に乗る 大事な飛行機です。
現在、操縦索等は繋がっていない様ですが、ほぼ形になっています。 
搭乗員は 左 ポートサイドから・・・そう言えば旅客機も 左が搭乗口。

現在は 全機退役したKM-2ですが この機体から 何人のパイロットが
大空へと 育って行ったのでしょう・・・。
今は タービンのT−5に代わってしまいましたが KM-2の方が力強く感じます。
 
 
 


と、まぁ簡単に 紹介しましたが 車の好きな方 そして 飛行機が好きな方

是非 1度行って見て下さい。

思わぬ 発見があるかも知れません。

尚、これらの航空機は まだ、完全な姿ではないので
なるたけ柵から入らないことを薦めます。 特にお子さんお連れの方 注意ください。
 
 

楢葉2004



旅の空のした




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