2002年11月27日
呑龍の空のした

群馬県は太田市から小泉町にかけて かつての中島飛行機があった場所。

mapionの地図ですが「おおた」駅の「た」の文字上が本工場
その「おおた」の文字上の「407」左「卍」マークが
金山の大光院・・・呑龍上人を祀る寺
 
呑龍上人は 貧困で喘いでいる家庭の子供を引き取り育てたことから
子育て呑龍さんとしても有名です。
この日は菊花のお祭り準備で広い境内もテント村になっていました
この境内には 幼稚園と動物園の様な公園があります。

その公園内にひっそりと 置かれていましたHU−1B(JG−1551)
(2005年3月8日に防衛庁へ返却)

この機体の向こう側 通りを挟んで見える建物が 富士重工北工場
現在は車のサブ組み立てをやっているとか

その昔 中島 知久平氏は 此処、根津氏の建てた東武博物館を借り
尾島町から此処に移り 本格的に飛行機研究に没頭した場所です。
当時の建屋 この地としては洒落た洋館だったと聞きます。


呑龍さんの北に衝立の如くある山が 金山です
この山には難攻不落とまで言われた山城が在りました。

またこの太田の地は沼地の多い場所だったとも言われ
後に水耕が盛んになる 上の写真を撮った場所も沼だった

興味ある方は下記H.Pを見てください。

太田市教育委員会
太田のシンボル金山



ここは元小泉飛行場
(上のマップで「りゅうまい」駅と「上小泉」の文字の間 四角の場所)
中島飛行機本工場や小泉工場で作られた機体が此処から飛び立って行った
今はご覧の様に モータープールと化し その面影を探すには・・・
 
左は飛行場から北西に延びる本工場への 元誘導路(飛行機運搬道)
右は飛行場から南に延びる小泉工場への 元誘導路 
この撮影した辺りが それぞれ飛行場の門と思われます。


飛行場外周の堀は 今も存在し 用水路として現役です。
現在 北工場、本工場、飛行場は富士重工として車を創り出し、
小泉工場は三洋電機となって 電気製品を創り出してます。



小泉から西に数キロ行きますと 飛行機王 旧中島邸があります。

Yahoo航空写真でもくっきり写るその屋敷は
四方を大木が覆い小さな堀が巡り なかでも母屋は
当時の寺社仏閣なみの最高の木造建築物として存在し
「高床式大広間は 100人以上の大人が埋め尽くしても
ギシリともいわなかった」と申します。

今は門を硬く閉じ 土塀の瓦も所々痛み出している・・・
その昔は尾島町観光ガイドにまで載っていたそうです。

建築文化財として国 群馬県 太田市が調査 認定を
考慮していただけるといいのですが・・・・・


当時の記録を辿るなら古典航空機電脳博物館

太田市市民会館隣の 中島記念図書館がお勧めです。




最後に 金山にある展望台からの夜景です 右下が呑龍さん
中央光の地平線先に新宿副都心が見える・・・・ハズ(^^;
周りはカップルばっかり・・・・」~o~)「




勝手にリンク
古典 航空機 電脳 博物館
Classic Airplane Museum
ここは必見です
このH.Pの中島飛行機物語は 是非とも読んで下さい。




旅の空のした


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