栃木子供総合科学館
富士/ベル 204B(JA9009)

お尻でごめんなさい!
この後ろにテールブームが取り付きます。
今は 栃木県子供総合科学館で フライトシュミレーターとして働いています。
栃木ヘリポートから 日光までFLTできるとか。


かつて 高速飛行実証試験が終わった頃の JA9009
・・どの様な 試験かは存じませんが・・・
この機体見た時 非常にワクワクしました。


この機体 そうなんです204Bの初号機
初めて 日本の空を飛んだ昭和37年は OD色でした。
ハビーさんのH.P民間航空機1号館(1950年代〜1980年代)
に掲載されてます。)
 その後 民間機らしいカラーリングになり フロートテストを はじめとする
数々の試験飛行をこなしてきました。
発展型204B−2最終号機は昭和62年 54号機でした。


東武ワールドスクエアがオープンした頃 鬼怒川温泉近くの山の中で
オレンジ色の204Bが 働いていたっけ 荷物を吊るしちゃ−山の上さ駆け上がっていました。

製造 富士重工/ベルヘリコプター社  型式 富士/ベル式204B 
登録 JA9009 
ローター径 14.63m  全長 17.34m 全備重 3856kg 
エンジン 川崎/ライカミング T−53−11A 1100hp 
備考 
  元々204Bとして昭和37年に作られた社有機 
 いろんな試験に供されている。
  ユーザーからも「砂利ダンプ」と云われる程 重宝された。
 陸上自衛隊HU−1B(当時はそう呼んでいた)と同系列の民間仕様
グライドパスさんより情報頂きました。(2003年3月11日追加)

有翼へリのことは昨年の「ヘリジャパン2002」の資料「ヘリコプター事始50年」にも書いてありました。その中からの引用を

それによりますと


昭和43年から コンパウンドヘリコプターの第一段階として 有翼ヘリコプターの特性を しっかりと手にすべく 社有機204B(JA9009)を改造して 実証試験機XMHを作りました。
(ヘリコプターの回転翼には 高速飛行時にどうしても限界が在る その回転翼の負荷を別に取り付けた翼で補い その限界を超えよう というのが 有翼ヘリ)

昭和44年3月に初飛行(昭和44年頃の航空情報に掲載)
翼面積3.8u 高速飛行時に機体重量の30%前後の揚力を発生する。
また 翼弦長50%にヒンジがあり後縁側を20度上がる様にしてあり オートローティション時のローターへの影響を最小限にする方法が取られてます。
当然高速飛行時の有害抵抗を減らすべく各所にフェアリングを付けています。

達成した速度は 対気速度 161.5kt を 緩降下で達成。
204(UH−1B)で100ktで出る振動もXMHでは140kt付近まで振動の増大が見られず 翼が有効に働いたことを体感できたそうです。

昭和48年まで全85回の試験飛行をこなし 翼の影響について非常に多くの試験結果が得ることができた(牧野氏の文章では『貴重な知識、経験』とあります)

この試験によって ヘリコプターへの試験飛行計測技術、設備、ソフトならびに知識経験の面でおおいに前進する事が出来たそうです。現在の飛行試験のベースにもなっているとか・・。

グライドパス様
貴重なコピー感謝します。

当時、高速飛行ヘリ試験は 世界で盛んに行われていた様ですね。

日本は戦後7年間の空白がありました あるものは 終戦時まで積み重ねてきた貴重な資料や経験すら白紙にせざる得なかった。
回転翼の世界はまさに その最たるところかも知れません。
201匹目のネズミは 教えなくても 生活手段を変えるといいますが 日本のヘリコプター業界は丁度その時に 手枷足枷された様なものかも・・・

ライセンス生産は出来ても 又、飛ばし運用は出来ても 開発はまったく別 大きな壁に挑む様なもの 戦後24年間に回転翼は大きく飛躍し 軍事的にも 民間的にも その役割は終戦時のそれとは 比べ物にならない程発展してしまったのです。現在もその発展は留まる所を知らず 大きな波の中を世界中のメーカーがシノギを削っている。

実証試験とは その時点で一番妥当と思われる理論を実際に試験する事
無論それが出来る環境が無くては成らない

現在のコンピューター技術も高度なものになっている様ですが 最終的には それを実証する試験をして見なければ 空論に過ぎないと言ったら過言でしょうか?

それとて 一番将来性の在るものと考えられていても 新技術が表に出ると その技術は それまでの苦労を まとめて補ってしまう技術かも知れない

でも 実際に試験を出来たら それは 身になり力となるのでしょう。

栃木の空のした  

2007年8月書き換え