東京都立航空高専FAMEギャラリー
2002年 3月25日
今日は思いも寄らぬ出会いがありました。
記憶違いも あるかもしれませんが FAMEに興味を持っていただければ 幸いです。
 
いつもの様に? FAMEの受け付けにて記帳し 中に入ると
フロア−展示機の位置が変わっていました
 
おもむろに見て回ります。
 
クリスレア・・・イギリス製・・・排気管を直接出している・・・なんて見ていたら

後ろから人の良さそう−な眼鏡を架けた紳士が
「どうぞ ドアを開けて 機内を見て下さい」
と言われたので キョトンとしていると 手招きしてくれて 機内を見せてくれました。

籐椅子を布で囲んだ様な座席 カーペット貼りのフロア− とても不思議な操縦装置。 
「○○新聞社が購入?したのですが 組み立て後 離陸はしたのです。」
「ところが、着陸の時 ノーズが暴れてしまい折れて機首やプロペラを 壊してしまった」
「結局それきり 飛ぶことは無く 格納庫で埃かぶっていた物を こちらで引き取って来た」
「最近イギリスでこの機体を再生する話が上がり ジェーンで調べたら日本に在る事がわかり
 わざわざ イギリスから調べに来たのです。 あちこちの寸法を測って行ったのですが、
 その後 この機体を売ってくれと 言って来た・・」・・・もちろん断ったそうです。
なんと言っても フイゴの様に踏み押すラダ−ペダル 上下に動かす操縦環・・・
聞けば聞くほど 見れば見る程 面白い発想で作られてます。
主翼支柱からニョキニョキと出ているチューブ(ピト−チューブ)。
このチューブは支柱内を通り下部付け根で 機体内に入り込んでいる。
・・・これなら 中に出来た水滴も一番低い所で処理できますね。

「ここには 航空再開時の 国産機を見る事が出来ます。 例えばこれ 東洋航空のTT−10」

「この機体は その後製作するフレッチャーFD−25の為に習作としてわずか5ヶ月の期間で完成させた
 翼は木製 桁に至っては一本の木で出来ている為 結構重かった」
「2機作られて 1機が小金井の倉庫に眠って居た ここは嘗て「日本青年飛行連盟」があったとこで
 ここでこの機体も使われていたのです」
「今もそうですが この学校出身者があちこちで 活躍している 
そして 要が済んだ機体やエンジンや部品等を「教材にいらないか?」と打診して来る」 

「ただ、以前の(木造)格納庫では 
屋根裏の鳩による糞害や雨漏りで 大分機体が傷んでしまった。
(移転をきっかけに)「修理出来る物は修理しよう」っと言う事になった」
「ほとんどが 羽布貼りなのですが
もう国内でこの仕事が出来る人がいないっと言う事で海外に
・・・でもね、頼んだはいいが 戻ってきたら中身が無かったじゃ困る」
「そこで、採寸して縫製だけしてもらい 残りはこっちでやった」
「オースターもトライペーサーも・・」

新聞社の盛んな航空熱でいろいろな機体が入るが「国産で」っと企画された機体もある
「よみうり Y−1は 幻の国産機として 新聞に紹介されたけど ここにある。」
「それを知った読売社が「何でここにある?」って言うから 読売との(覚書)書類があるからって言った。
そしたら 向うも困ってしまった・・・どうにも欲しいようだ。」
「開発には 木村先生なども参加された が、BELLとの パテントには いろいろ工夫した様です。
例えば エンジンは神風(じんぷう)(星型エンジン)とか・・・」

「ブレードはいくつか在ります 現在付いているのは木の積層材で出来ています」
「(当時の)木製ブレードは 負荷がかかると ねじれて折れてしまう」
「結局、浮上は したけど飛行までは行かなかったのですが・・・」
 

 
 
 
 

JHX−3と読売Y−1 
「町の発明家 荻原さん ここには JHX−3が展示してありますが、
これの開発は 実は日本最初のホバークラフト開発している時に思いついて作ってしまった。
ラムジェットは 火を点ければ力が出る訳では無いので もう一人が横のクランクフックにクランク棒を引っ掛け
ローターがある回転数になるまで回し続ける。
もちろんラムジェットには 種火が燃えている で 燃料も 送られているから 火の粉が降ってくる
何度も何度もひっくり返りながら 試験を続け5mの浮上に成功
・・・この浮上は ここのOBもかかわっています 場所も旧校庭でした」
「荻原さん パルスジェットも作って 自転車に付けてこの辺りを走った事も在りました」
「さすがに音はすさまじかった・・・でも 人が重かったのか 音の割には・・なんて言われてました」
荻原さん亡き後 夫人と航空高専生徒達が協力して 復元したそうです。
 
 
 
 
 
 

シコルスキー R−6
戦後、初の民間レしプロヘリ(JA7001)は これもまた 悲運な機体
「船便で輸入される時 シケで揺れる船内にて テールを落下物で壊している、
その後修理されて 現在の多摩川グランドの格納庫保管時 台風で格納庫が倒壊し また 機体を壊してしまった。」
その機体を ここへ教材として運び込み修復してある。
羽布貼りのローターブレードや 当時まだ出始めのFRPパネル等 構造的にも興味深い機体。

天井から吊るしてある 47はD型のプロトタイプ
「元々テールのエレベーターは無かった機体 後付け改修された
極東航空から全日空時代に活躍した 遊覧飛行やいろんな仕事をしてきた 要廃後ここへ引き取られてきた」
 
 
 

 
 
 

 

 富士/ベル204B
「その下の204Bは警視庁「おおとり」として 浅間山荘や安田講堂落城などにも参加した機体
本来ならノーズに警視庁のマークが入っているハズなのですが ここに来る前に消してしまった」
「これだけ大きいと 貰っても引き取りにお金がかかる
・・・と 言ったら じゃぁ、これから飛んで行くって事になり いそいで 校庭に水撒きしたりしたのですが
東ヘリからここまで すぐ・・・水撒きそこそこに 2機で飛来し 1機が上空監視するなか ものすごい砂煙の中着陸」

ちなみに ここの機体は 殆どがトラックで何回も往復して譲り受けて来るそうです。
今だと道交法が厳しく制限してますが 当時は・・・だったそうです。
 
 
 

 
 
 
 
 スターダスター2(パンフレットより)
「基本は実際に体験する事 だから このスターダスター2はいい教材だった・・
今は鳥人間などにも参加している・・・が もう一度単発機 今度は3葉機とか・・・」
「作る度に強度計算させていたので 航空局にも全部提出した・・」
「下総基地でのジャンプ飛行や 桶川 木更津での各種試験飛行も無事終了出来た。」
「この機体 作るのに 足掛け9年ついやされている
最初はスポンサーが居た(外国人パイロット)が、その方が亡くなってしまい中断しそうになった」
「でも、最後までやって完成出来た。」
「この学校には いろんな処で活躍しているOBがいっぱい居る その方達に頼んで いろいろな試験をしてもらった。」

「ここの施設になる時 成田航空科学館に トラック30台くらいの部品等持って行ってもらった・・」
「本当に飛行機再開時の物を残しておきたい。」
「成田、所沢、かかみがはら お互い 繋がりを取る様にしています。」
「かかみがはらの横山さんも 上京すると 此処へ顔を出してくれる。」

ここへ行くと 何故かわくわくしてしまう。
 
今回 偶然にも 絵畑教授に 案内して頂いて その飛行機の持つ物語を ほんの少しを聞かして頂けて 本当に幸せでした。


この場を借りて 御礼申し上げます。


 
今年度 公開予定     時間は10時〜15時         (2003年5月改定)
2003年 4月15日(火)  ヘリコプターの日
       5月16日(金) 世界電気通信の日
       6月 2日(月) 電波の日(繰り下げ実施)
       9月19日(金) 空の日
      10月14日(火) 鉄道の日(繰り下げ実施)
      11月 1日(土) 航空高専祭り
      11月 2日(日) 航空高専祭り
      12月 1日(月) 鉄の日 (繰り下げ実施)
      12月17日(水) ライト兄弟初飛行の日
2004年 3月25日(木) 電気記念日
11月2日以外は平日ですが 出張の合間にでも見てください 
15名以上の団体は事前に連絡をしてください。支障のない限り開館します。
撮影は可
入場無料
詳細は     〒116−0003
         荒川区 南千住8−52−1
    東京都立航空工業高等専門学校 経理係り
    tel  03−3801−0145
    fax  03−3801−9898
 
東京都立航空高専 公式H.P
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